「〇〇な時におすすめの3つの考え方」みたいなのって、全部しょーもなくない?
おススメ旅行スポットとかならまだしも、結構真剣に悩んでる時にこういうタイトルのサイトが検索で出てくると、本気で嫌になる。
- 悩んでいる原因は?
- もっと楽に考えよう!
- こういう見方もある!(よくわからんアフェリエイト広告)
みたいなやつね、ホントもう勘弁してくれ。
実はこういうのって、一見すると企業がやってるようなサイトでも、内容は専門家でもなんでもない素人が書いている事があって、その点では全く信用できないんだよね。
どうしてここまで言い切れるかというと、自分は昔、こうしたコラム記事の添削の仕事をやっていた事があるから。
(いま振り返ると本当にとんでもない事をしてしまったと自責の念に駆られる…)
サイトの運営者からテーマと見出しだけ与えられて、あとは個人に丸投げされているものを、回収した後に僕が添削するんだけど、主婦の方とかフリーターの人が書いた文章って全然文章として成り立っていないことがあって、読むのが苦痛になるようなものも多い。
そういうのを添削していくと、自然と上記のような「〇〇をするための3つの考え方!」みたいな枠組みに落ち着くんだよね(というか、そう直すように指示が出る)。
結局この見出しが安パイなんだろうね。YouTuberのサムネ画像が似たり寄ったりになるのと原理的には同じだと思う。
添削の仕事をしてからというものの、こうしたタイトルのサイトは見ないようにしている。
だって中身が不正確なものばかりなんだもん。
誰が書いているのかハッキリ明記してあって、なおかつ書いた人を信頼できる場合にしか、こういうネット上の記事には意味がないと思う。
(まあ「お前のブログも匿名じゃねーか!」というツッコミに今は反論できないけど)
インターネットの発達で誰でも情報発信できるようになったのは良いことかもしれないけど、デマや根拠のない情報を取捨選択できる能力はこれまで以上に求められる時代になったと思う。
だけど、本当は情報を発信する側にもっと責任感が必要なはずなんだよね。
間違った情報を伝えた場合はきちんと謝ったり、リスクをとる行為を煽る場合にはちゃんとそのリスクについて説明したり。
記事を公開した後のアフターフォローに責任を持たずに、言うだけ言って「真に受けるかどうかは自己責任でしょ」「いやリスクについては各自でググれよ」みたいな反論しか出ないなら、そんな人はそもそも情報を発信する資格なんて無いと思う。
居酒屋で知り合いと駄弁ってるのとは違って、ネットでは不特定多数の人が自分の主張を受け取るんだということを常に意識することは、これからの時代、情報発信する側に求められる最低限のマナーだよなあ。
…なんてことを、「生きること 辛い」の検索結果を見た瞬間にふと思いました。